越後國一宮 「居多神社」参拝 (2013/11)
居多神社は、彌彦神社から車で1時間40分ほど南下し、
直江津駅から東へ2.2km、五智公園の手前にあります。
居多神社は「こた」と読みますが、北陸にある一宮神社「気多神社」(けたじんじゃ)
の系列ではないかという考え方もあるそうです。
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神社入り口
この向かいに20台ほど置ける駐車場と、観光案内所兼お土産店があります。
「霊性の国越後」という案内板がありました。
専修念仏の教えを禁じられ、越後に流された親鸞聖人が7年間滞在し、
ゆかりのある神社仏閣も多く、逸話を残していることと関係しています。
越後の七不思議「片葉の葦」
親鸞聖人が居多ヶ浜にたどりついてまず参拝したのが居多神社で、
『すゑ遠く法を守らせ居多の神 弥陀と衆生のあらん限りは』
と詠んで祈願したところ、一夜にして居多神社の境内の葦が片葉になってしまった
という七不思議があるそうです。
それでは境内へお参りしましょう。
鳥居をくぐると正面に拝殿、左に社務所兼自宅、右に末社があります。
境内の様子は一番下に動画を掲載しています。
拝殿の額には「居多大明神」 の文字。
御祭神は主神が大国主命、配神が妃神の奴奈川姫命 、子神の建御名方命です。
拝殿内部
平成20年に完成したばかりなので、とても新しいです。
御供物
お守り、ダルマ、絵馬もセルフサービスで置いてあります。
雑誌に掲載されたパワースポットの記事。
良縁、子宝、安産の御神徳があるようです。
拝殿横
裏から見た社殿全体
ナビを設定したら裏道に到着しました^^
横から
親鸞聖人の像
御神木らしき大木はありませんでした。
池と葦
冬なので、枯れていますね。片葉の葦かどうかは分かりませんでした。
池の方面から見た境内
裏の参道の鳥居と末社
末社 雁田神社(かりたじんじゃ)
御祭神
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)
子宝の神様です。
内部には男根石と女陰石が祀られていました。
子宝安産だけでなく、泌尿器科系や性病治癒のご利益もあるそうです。
大国主命と奴奈川姫命、抱いている赤ちゃんは諏訪大社の御祭神、建御名方命。
大国主命の沼河姫命への妻問の歌の石碑
出雲からお嫁さん探しに出かけてきた大国主命が沼河姫命に求婚するときの様子が
詠まれています。
大国主命の沼河姫命への妻問の歌 説明版
奥の稲荷社
ずいぶん痩せたお稲荷さんです。
小雨の降る平日の午後で、参拝している方は誰もいませんでしたが、
末社のお賽銭箱にも1円、5円ではなく百円硬貨が入っていたのが印象的でした。
改修したばかりで寄付を受け付けているので、
少しでも足しになればという方が多いのかもしれません。
この後、御朱印を戴こうと社務所を探したのですが、
境内の奥にご自宅しかなかったので、
駐車場の横にあった観光案内所で伺うと、そこに宮司さんがいらっしゃいました^^
自宅に奥様がいるのでそちらへと言われ、そこで御朱印をいただきました。
お留守の場合にも、玄関に書置きがありますが、
直接御朱印帳に頂きたい場合には、事前に連絡をして出かけた方がよろしいかもしれません。
【居多神社の御朱印】
御由緒書
【居多神社】
御祭神:大國主命、奴奈川姫、建御名方命
御神徳:縁結び、子宝、安産
祭典:例祭5月3日、大祭8月19日・20日
宝物:居多神社古文書(上越市指定文化財)、狛犬(上越市指定文化財)
【居多神社の歴史】
朝廷から弘仁4年(813)に従五位以下を、貞観3年(861)に従四以下をたまわった。古代、越後国司の厚い保護を受けて栄えた。承元1年(1207)、親鸞聖人は越後国府に配流となった。居多ヶ浜に上陸した聖人は、まず越後一の宮居多神社に参拝した。いご健保2年(1214)、常陸国稲田へ旅立つまでの七年間、越後で生活した。
南北朝の動乱がひと段落した貞和3年(1347)、室町幕府から社殿収蔵費として田井保(上越市板倉区田井)三分の二をたまわった。さらに観応2年(1351)、越後守護上杉憲顕から荒蒔保(上越市清里区荒牧)保司分を社領としてたまわった。以後、越後守護上杉家の厚い保護をうけ、越後一の宮として栄えた。
戦国時代には、京都の文化人達があいついで越後府中(直江津・五智)を訪れた。文明18年(1486)、京都常光院の僧嶤惠(ぎょうえ)は守護上杉房定の厚遇をうけ、至徳寺の塔頭最勝印を宿とした。滞在中、居多神社に参拝し、『天の原雲のよそまて八島もる 神や涼しきおきつしほ風』と詠んだ。京都相国寺の僧万里集九も長享2年(1488)府中を訪れ、居多神社をはじめ国分寺、安国寺など、府中の名所を見学した。嶤惠、集九以外にも、たくさんの文化人が参拝した。
戦国時代、居多神社も戦乱に巻き込まれた。天文2年(1533)、反長尾為景派によって社殿が焼かれた。そのため同年、為景(上杉謙信の父)は居多神社に内乱鎮定を祈願し、社殿造営を約束した。天正6年(1578)、戦国大名上杉謙信が春日山城で死去すると、養子勝景と景虎とが家督相続をめぐって争った。これが有名な「御館の乱」である。
その際、居多神社は景虎に味方したため景勝軍の攻撃をうけた。神主花ヶ前盛貞・家盛父子は難をさけ、能登・越中を転々とした。慶長3年(1598)、景勝が会津(福島県)へ移ると、晴れて帰国することが出来た。翌4年、春日山城主堀秀治から社領13石を寄進されたが、もはや昔日の面影はなかった。
江戸時代、幕府から高百石の御朱印地をたまわっていた。明治12年、海岸浸蝕のため現在地に遷座した。平成20年7月26日、新社殿造営、竣功祭。~パンフレットより
越後國一宮 居多神社 境内の動画
越後國一宮 「居多神社」 アクセス&地図
こたじんじゃ
住所:〒942-0081 新潟県上越市五智6丁目1−11
TEL:025-543-4354
公式サイト
*御朱印は境内にある社務所兼自宅で(事前連絡推奨)
アクセス
電車::JR北陸本線・信越本線 「直江津駅」から徒歩約25分、タクシー10分
車:北陸道「上越IC」から20分
地図
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